今回は、刑法総論の第5回。『過失犯』について解説していきます。
過失とは結果回避義務違反である
過失犯については、学説の流れがあります。『旧過失論』と『新過失論』です。
もっとも、この記事では通説とされる新過失論的説明でご説明いたします。
刑法学において、過失とは『結果回避義務違反』をいいます。
予見される結果を回避しなかったことが、「過失である」と考えているのです。
それでは、いったいどんな場合であれば『結果回避義務に反した』といえるのでしょうか。
これは、「予見可能性があり、結果回避可能性があるにも関わらず行為をした場合」に結果回避義務違反があるといえるとされています。順にこれらの要素をみていきましょう。
予見可能性とは具体的
「予見可能性」はその文字どおり、行為当時に結果を予見できたか否かを検討することになります。この予見可能性がある場合に、過失の考慮要素の一つが満たされることになります。
予見可能性の程度は原則として「具体的」
予見可能性を考える際に、学説ではどの程度の予見可能性が必要か争いがあります。
具体的な予見可能性が必要であるとする見解や、抽象的な予見可能性でよいとする見解など、さまざまな見解がありますが、ここでは具体的な予見可能性が必要だと考えます。
けれども、一口に具体的といっても、よくわかりませんね。そこである裁判例をご紹介いたします。
医療事故で業務上過失致死が問われた事例の判旨
「結果発生の予見とは,内容の特定しない一般的・抽象的な危篤感ないし不安感を抱く程度では足りず,特定の構成要件的結果及びその結果の発生に至る因果関係の基本的部分の予見を意味するものと解すべきである」
札幌高裁昭和51年3月18日判決
上記のように、「予見可能性」は構成要件的結果+因果関係の基本的部分の予見が必要なのです。これは結果回避義務を意識しているように考えられます。
これを大まかにご説明いたしますと、「予見可能性は基本的には具体的だけれども、因果関係は基本的部分で良い」いう表現に近いものとなります。
これを踏まえて次の裁判例をみてみましょう。
被告人の運転する車の荷台にA・Bが乗車していたところ、被告人はA・Bが乗っていることに気づいていなかった。被告人は運転中、ガードレールに衝突しそうになり、ハンドルの操作を失って信号中に衝突。A・Bが亡くなったという事件。
最高裁は、たとえ被告人が自動車の後部荷台にA・Bが乗車している事実を認識していなかったとしても、両名に関する業務上過失致死罪の成立は妨げらないとしました。
この事件で皆さんは「あれっ?」と思われるかもしれません。
さきほどの裁判例を参考にすれば、被告人の行為には具体的=構成要件的結果=A・Bの死の予見可能性はないように思えるからです。
被告人にとって、A・Bが荷台に乗っているなんて運転中に具体的に予見できるはずありません。
しかし、ここでもう一度、どれほど具体的でなければならないかを考えてください。結果回避義務を意識して、特定の構成要件的結果の予見があればよいのでしたよね?
運転中の結果回避義務には当然「人」を傷つけるような結果をもたらしてはいけないという結果回避義務があるといえます。よって被告人の予見すべき結果=特定構成要件的結果というのは人一般の死だということになるのです。
といっても交通事故のような特殊な場合以外であれば,「具体的」というのは普通に考えてもらえばいいと思います。人に危害を加えることと隣り合わせの行為は一般的に自動車運転くらいしか思いつかないからです。
判断基準は同種の一般人
次に、「判断基準」が問題となります。具体的予見が必要だとしても、子どもからの予見と大人の予見は程度が全く異なるからです。
これについては通常、同様の地位にいる一般人の予見可能性といわれています。
つまり医者の過失行為であれば、同種の医者からすると具体的に予見可能であった事情に反したことが過失であり、自動車運転者なら、同種の自動車運転者(自動車免許をもって標識等の理解がある者)からすると具体的に予見可能であった事情に反したことが過失となるといえます。
結果回避可能性の検討も大切!
『結果回避可能性』とは
よくある間違いとして、予見可能性だけを検討し、過失を認定してしまうことがあります。
もっとも、これはよくありません。もちろん論述で時間的制約の中で省略することはあり得るのですが、予見可能性の他に結果回避可能性の検討が必要なのです。これは結果回避義務があったといえるには、その行為をしていれば結果が回避できたといえなければ論理として成り立たないと考えられているからなんですね。
判例も確認してみましょう。
タクシーを運転していたが,交差点で時速30~40キロメートルの速度で侵入したところ(本来なら見通しのきかない交差点なので徐行すべき),左方より赤色点滅なのに一時停止せずに進行してきた時速70キロメートルの自動車と衝突。傷害を負わせた。判決では,一時停止も徐行もせず時速70キロメートルという拘束で侵入してくる車両がありうるとは想定しがたいものであり,たとえ時速10~15キロメートルに減速して安全に運転していれば衝突を回避できたかはわからないとして無罪とした。
最判平成15年1月24日
最判平成15年1月24日
この場合であれば、自動車運転者であり速度も違反してるので予見可能性があるといえそうです。しかしながら、結果回避可能性に欠けます。正しい行為をしていても、なお結果が発生したとされるからです。
少し納得しにくいかもしれませんが、結果回避可能性がないと、刑法では過失犯は問わないとしているのですね。
信頼の原則とは
それでは、ここで少し『信頼の原則』について考えてみましょう。
もっとも、信頼の原則は限定的に捉えられていることから、この記事では軽く触れる程度にとどめます。
信頼の原則とは、その状況下では当然そのような行為はとらないと信頼できるから、信頼していた私に過失はないという考え方です。
信頼の原則をどこに位置づけるかも難しいところですが、ここでは過失を否定する要素と捉えることにしましょう。信頼の原則は基本的に認められません。自分が過失行為=結果回避義務違反をしておきながら相手が悪いといった主張はおかしいと考えられるからです。
それでは、信頼の原則が認められるのはどのような場合なのか。それは交通事故と医療事故の場合くらいです。
医療現場では分担がされることが多いですから、役割分担がされている場合、その役割さえやっていれば他の役割については信頼してもよいと思われますし、交通の場合でも歩行者等、相手がちゃんと交通ルールを守るものと思って行動してよいと考えられるからです。
上記裁判例と同じような事例では信頼の原則をもとに過失を否定したものもあります。
まとめ
今回は過失犯について学びました。
最後に大切なポイントを再度まとめておきますね。
①過失犯を検討する際は、『結果回避義務』があるかどうかを考える。
②まず、『具体的予見可能性』があるかを検討する。(ただし、因果関係は基本的な部分のみで足り、行為によって予見の程度が緩められる場合も存在する。
③そして、『結果回避可能性』があるかを考える。
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