
「故意」を学ぶ上で大切なこと
刑法は基本的に故意がないと罰しません。
あくまでも一部が例外として過失によっても罰せられるだけです。
基本は故意がないと罰せられないということをしっかり意識しておいてください。
これを踏まえて今回のポイントは以下の通りです。
①故意とは何かがわかる。
②事実錯誤・法律錯誤の違いがわかる。
③具体的事実の錯誤について理解する。
④因果関係の錯誤が何かわかる。
故意とは認識・認容である
故意については様々な学説で議論されていますが、一般的に故意とは客観的構成要件要素の事実の認識・認容であると言われます。
客観的構成要件とは、結果・行為・因果関係のことだと考えるとわかりやすいです。これに客体や行為状況も含み、広く客観的事実と考えることもあります。
認識はわかるけれど、認容って何?と思いませんでしたか。
たしかに認容というのは、少しわかりにくい言葉ですよね。ですから、ここではこう理解しましょう。
認容=「かもしれない。」「やむを得ない」と考えましょう。
たとえば殺人罪について考えてみます。
包丁で相手を刺してしまった場合を考えてみましょう。
相手を「殺そう」と殺意を持って行為に及んだ場合には、客観的構成要件要素の事実(死の結果など)に対して認識があるので故意は認められます。これはわかりやすいと思います。
では相手を積極的に「殺そう」とまでは思っていなかったとしても、相手が「死ぬかもしれない」と思っていた場合はどうなるでしょうか。
一見すると、殺意がないようにも思えますが、客観的構成要件要素の事実(死の結果など)に対して認容をしている(「かもしれない」と思っているので)故意は認められるのです。
故意の性質について
故意とは罪を犯す意識です。
刑法においては、法が「これをしてはいけない」と定めているものを、わかっていながら行為者がその行為をやってしまう場合に、その行為を罰しないといけないということから故意を認定してい流のです。
つまりは、その行為に出ること自体がダメということで故意を認めているわけです。
先ほどの例の殺人の場合も、法が「人を殺したらいけません」という規範があって、それをわかっていながら、あえて殺人の行為に出たら、その殺人の行為に出ること自体の認識・認容で殺人の故意を認めるとしているのです。
故意とは、客観的構成要件要素に対する事実の認識・認容である。
認容とは「かもしれない、やむを得ない」と思う場合を指す。
故意は、法が禁止する行為に出ること自体の認識・認容があることを理由として認められる。
『事実の錯誤』か法律の錯誤かは一般人の評価で考えよう!
錯誤とは不一致のこと
錯誤とは、認識事実と実現事実とが食い違うことをいいます。
錯誤=不一致と覚えておくとわかりやすいと思います。
もっとも、錯誤にも2パターンあり、その違いが問題になる場合があります。
事実の錯誤
事実の錯誤とは、行為者の認識していた犯罪事実と現実に実現した事実との不一致を言います。A(客体)のものを盗もうと思ってB(客体)のものを盗んだ場合は、犯罪事実(客体も客観的構成要素でしたよね)と実現した事実とが不一致(A≠B)であるので事実の錯誤ということになります。
法律の錯誤
法律の錯誤とは、実現した事実の違法性の評価と客観的違法性の評価の不一致をいいます。わかりやすくいうと、「そんな法律があるって知らなかった!」「これが違法に当たるって知らなかった!」という場合です。
刑法は基本的に事実の錯誤の場合は当初の故意を認めず、法律の錯誤の場合は当初故意を認めます。(例外があります)
ここまで、故意は法が禁止している行為に出ること自体の認識・認容があることを理由に認められると説明してきました。
ここで「殺人罪があることを知らなかった」と主張してもこれらは法律の錯誤なので、殺人罪の故意は否定されないわけです。
事実の錯誤と法律の錯誤の区別は一般人に求めよう
もっとも、事実の錯誤と法律の錯誤の区別はまちまちではっきりしないことも多いです。学説でも何を基準にするのかで議論が分かれています。
もっともわかりやすいのが一般人レベルの認識を基準にするものです。
結局、法は一般人を対象としたものなので、一般人レベルで違法の要素をどの程度認識していればよいかがカギになります。
ここでたぬき・むじな事件を取り上げてみます。
大正13年、猟師であった行為者Xは、禁猟期間であったにも関わらず、山にいた、たぬき2頭を射撃し捕獲しました。この行為が狩猟法に違反するとして起訴されましたが、Xは「自分が捕獲したのは『むじな』であって『たぬき』ではないから、狩猟法違反にはならない」と主張します。
実はXが住む土地では、古くからたぬきのことを「むじな」と呼んでいました。そのためXは、猟が禁止されている「たぬき」を、その俗称である「むじな」だと思って捕獲してしまった、という訳です。
「たぬき」という客体(客観的構成要件事実)という認識のもと、「むじな」という客体を捉えたという事実でみれば事実の錯誤です。
もっとも、「むじな」を捕獲することは違法ではないと思っていたものの、実際法律はむじな=たぬきとして違法であったという違法性評価に不一致があると捉えた場合は法律の錯誤です。
この場合、一般人を基準として考えると、たぬき≠むじなと考えられていたわけですから、社会的に違法性がないといえることから、事実に対しての不一致、つまり事実の錯誤といえるわけです。
具体的事情に即して一般人を基準として、社会的評価として違法性がないといえれば事実の錯誤となるわけですね。
具体的事実の錯誤
さきほど、事実の錯誤は基本的に故意は否定するとしましたが、これには3つほど例外があります。
それが具体的事実の錯誤と抽象的事実の錯誤と因果関係の錯誤です。
今回は具体的事実の錯誤についてご説明します。
具体的事実の錯誤とは、認識事実と実現事実が同一構成要件内で不一致である場合をいいます。
同一構成要件内とは先ほどの客観的構成要件と同じ意味です。つまり結果、行為、因果関係、客体、状況等です。
重要な対立として法定的符号説と具体的符号説の対立がありますが、今回は判例通説である法定的符号説に立って解説します。
定的符号説は犯罪が一致する限度で故意を認める
錯誤を学ぶ上で大切なポイントは、法定的符号説を理解することです。
法定的符号説は構成要件的評価が一致する限度で故意を認めようとする説です。
ここでは構成要件的評価=犯罪とざっくり考えて、犯罪が一致する限度で故意が認められるとする説だと簡略化して考えます。
ここでもう一度、具体的事実の錯誤を思い出してみてください。具体的事実の錯誤は同一犯罪内での不一致を問題にした錯誤でしたよね。
ですから、法定的符号説に立てば、具体的錯誤の場合は故意を認めるといえるわけです。
改造びょう打銃事件
ここで判例を見てみましょう。
甲は殺意を持ってXに向けて銃を撃ったところ,Xに当たり,弾がそれて,近くにいたYにもあたった。XとYはどちらも死亡した。
(最判53年7月28日参照)https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=57029
はじめに、Xに対しての行為を考えます。
検討手順は、結果→行為→因果関係→故意です。
X死亡の結果があります。甲は銃を撃っています。銃を撃ったことと弾があたってXが死亡したことには因果関係があります。殺意もあり,故意も認定できます。その他に違法性阻却要素や責任阻却要素も問題ありません。
ですから、甲はXに対して殺人罪(199条)が成立します。
次に、Yに対する行為を考えてきましょう。
甲は「Xに対しての殺意」をもって行為に及んでいました。そして、Yも亡くなったのです。これについて、XはYに対してではなく、Xに対して撃ったのであるからYに対する殺人の故意は認められないと考えるかもしれません。しかしそれは間違いなのです。
もう一度考えてみましょう。これは認識事実「X殺害」と実現事実「Y殺害」とが不一致である錯誤の事例です。錯誤のときはその錯誤が何かを考えます。
今回はどちらも殺人罪についての錯誤です。よって同一構成要件内の錯誤であるから具体的事実の錯誤であることになります。
すると、具体的事実の錯誤は、法的符号説に立つと故意は阻却されませんから、Yの殺害という事実に対しても殺人罪の故意が認められるのです。
以上より、Yに対しても殺人罪(199条)が成立します。
なぜ法定的符合説をとるのか
法定的符号説をなぜとるのでしょうか。
これは、故意の本質を考えれば法定的符号説をとる理由が明らかになります。
故意の本質を思い出してみましょう。故意は、法が禁止する行為に出ること自体の認識・認容があることを理由として認められるんでしたよね。
そうすると、甲は銃を撃つという行為にでた時点で故意は認められるのです。「誰に当たろうがその行為をした時点で発生する責任はすべてあなたが負ってください」ということを法定的符号説は基本に据えているのですね。
まとめ
今回は故意、そして具体的事実の錯誤を見てきました。
ポイントは何を認識し何が実現されたかです。これが一致していない場合は錯誤の問題になり、同一犯罪の認識と実現事実であれば具体的事実の錯誤となります。