
刑法において、行為者を罰するにはその人に責任能力が備わっていなければなりません。
この責任能力があるかどうかは責任段階で検討していきます。そして、その中で主に問題になるのが刑事未成年と心神喪失、心神耗弱、それに関連する原因において自由な行為です。
刑事未成年は罰しない
刑法41条 十四歳に満たない者の行為は、罰しない。
まず責任能力が欠けるとされる一つ目の場合は刑事未成年です。
これは刑法41条に規定されていおり、14歳未満の者は刑事責任を問われることはありません。
この年齢は絶対です。たとえばこの子は少し賢いから13歳でも罰しよう、とか結果が重大だから13歳でも罰しようとかそんなことはありえません。14歳という絶対的基準があります。
罰する=ペナルティを与えるというよりは正しい道へ歩ませるようにすることが重要であるとの考えがあるように感じます。善悪を理解していない年齢なので犯罪としては処罰しないということです。
もっとも、この点はあまり試験問題としては出ません。
心神喪失・心神耗弱の場合も責任能力を欠く
先ほどの刑事未成年と同じように、責任能力が欠けるとされる場合が2つあります。それが心神喪失と心神耗弱の場合です。
条文は刑法39条になります。
ここで重要となるポイントは、心神喪失と心神耗弱の微妙な違いに注意をする必要があることです。
心神喪失は刑事未成年と同様に罰しないとされていますが,心神耗弱は刑を減軽するだけで罰しないわけではありません。
心神喪失は精神の障害によって弁識能力や制御能力がない状態を言います。一方で、心神耗弱は精神の所が言うにより弁識能力または制御能力が著しく減退した状態です。
なお、精神の障害を生物学的要素、弁識能力・制御能力を心理学的要素と言うことも多いです。
よく例として挙がるのが酩酊状態(病的に酔った状態)です。この場合は心神喪失や心身耗弱と判断されることがあり、責任能力で問題になることがあります。心神喪失や心身耗弱が認定されれば責任阻却ということになります。
行為と責任の同時存在の原則
行為者に対する非難可能性は、行為者の性格の危険性についてではなく、行為者が構成要件に該当する違法な行為を行なったことについての非難可能性ですから、責任の各要素は、行為者がそのような行為をした時、さらに厳密に言えば、実行行為を行なった時に存在していなければなりません。
これを行為と責任の同時存在の原則と言います。
原因において自由な行為
先ほどお話した通り、行為者が行為の時に責任能力を欠いていた場合は、行為者を非難することができないことから、責任が阻却されて犯罪不成立となるのが原則です。
しかしながら、以下のような事例ではどうでしょうか。
Xは、Aを殺すことを決意し、勢いをつけることを目的とし大量の日本酒を飲み、単なる泥酔を超えて病的に酩酊した。その後、殺意を持ってAの腹部を包丁で刺し、Aを死亡させた。XがAの腹部を刺した時、Xは心神喪失の状態であった。
Xに殺人罪が成立するか。
この場合、確かにXの行為は殺人罪(199条)の構成要件には該当しますよね。
もっとも、XがAの腹部を刺すという実行行為を行なった時、Xは心神喪失であって実行行為と責任能力が同時に存在していないので、刑法39条1項によって責任が阻却されて、殺人罪が成立しないのが原則です。
しかしながら、Xは勢い付のために積極的に自ら飲酒して、自ら心神喪失の状態を招いています。このような場合にXを無罪とするのは、素朴な法感情からしても納得がし難いですし、犯罪の予防という刑事政策的な観点からしても妥当な結論とは言い難いように感じます。
そこで、判例。通説は、飲酒や薬物などの原因行為の時点では完全な責任能力があったことに着目し、人を刃物で刺すなどの結果行為の時点においては完全な責任能力がなかった場合であっても、原因行為の時点では完全な責任能力があった、すなわち「原因において自由な行為」であったことを理由に39条の適用を除外しようとします。
このような考え方を原因において自由な行為の法理といいます。
ここで問題となるのは、なぜ「原因において自由」な行為であったならば、結果について完全な責任を問いうるのかということです。
この点については、これまでから様々な見解が主張され、いまだに決着はついていないものの、大きく分けると次の2つの見解に分けることができます。
原因行為説(間接正犯類似説)
1つめは、原因行為を実行行為と見て、実行行為と責任能力の同時存在の原則を守ろうとする原因行為説です。
この立場においては、原因において自由な行為の事例についても実行行為と責任能力の同時存在の原則が貫徹されます。
結果行為説(同時存在修正説)
こちらが現在の通説です。
この説では、結果行為を実行行為と解しつつ責任非難のためには、必ずしも実行行為の時点で完全な責任能力を有していることを必要としないとして、原因において自由な行為の可罰性を説明しようとしているのです。
したがって、この説では結果行為が完全責任能力のある状態での原因行為時における意思決定の実現であると言える場合に、結果行為について完全な責任を問うことができるとするのです。
両説の比較
原因行為説(間接正犯類似説) | 結果行為説(同時存在修正説) | |
原自行為 | 責任無能力状態の自身を道具のように扱う。 | 最終的な意思決定は自身にあるので、 結果行為が責任能力ある状態での意思決定の実現過程 |
実行行為 | 原因行為 | 結果行為 |
限定責任能力 | 適用否認→減刑 | 意思決定の実現過程と言えれば適用を肯定 |
同時存在の原則 | 実行行為と責任能力が同時に存在 | 実行行為または一定の関係にある原因行為と責任能力の同時存在 |
批判 | お酒を勢いづけとして飲んでから誰かを殺害した場合、 飲酒の時点で「実行行為」とされるのは編ではないか? |